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<<   作成日時 : 2013/12/14 16:49  

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我が国のエネルギー基本計画について
                                                                2013/12/14
日本原子力学会SNW
伊藤 睦


昨年来経産省の総合エネルギー調査会基本政策分科会で審議されていた我が国のエネルギー基本計画が、やっと纏まったようだ。
しかしその内容は、各種エネルギー源の供給目標を数字で示せず、エネルギー政策の原則と改革の方向性を示すにとどまっており、原子力については原子力の重要電源と位置付けたことが目新しい所である。
要は、定性的に各種エネルギー源を適時、最適に開発して行こうというものであり、此れではエネルギーの供給する事業者は何を頼りにしていくのか極めて解りにくいものとなってしまっている。
この理由は、福島の事故がまだ収束していない現状から、原子力の再稼働も見えていなく、ましてや、新規原発の建設も見通しが立てられないという事情があったことは事実であろう。
しかしこのような状況の中でこそ、国が確固たる目標を示すのが政府の重要な役目であろう。
そこで、なぜその様な事になってしまったのかを考察してみる。

まず第一に、原子力開発の必用性の議論の不足による原子力開発の意義の認識の不足があるように思う。
我々の時代には@アイゼンハワー元米国大統領の有名な演説[ATOMS for PEACE]に始まり、Aオリンピックの時に原子力は発電が見事に成功し、メヂアを上げて将来のエネルギー源が出来たと祝ってくれた。Bまた1985年頃に派生した、アラブ諸国による石油生産調整のよる世界的な石油危機に対して、政・官・民を挙げて原子力を開発し、見事にそれを降り切ったし、以降原子力発電は順調に開発が進み、1950年には、我が国の発電量の30%を担って、安全で安心できる電源と思われた。

次にに、原子力開発の真の狙いに対する議論がが欠けていた。
元総理の小泉さんの原発ゼロ化の発言に対して、これまで、原発推進派と称す国会議員の一部がまともに反論せず、逆に原発から手を引くべきとの立場になてしまっている。
勿論小泉さんの発言は目茶苦茶であり、それ自体を議論する気はないが、一言、我々はなぜ,この危険な原子力の開発してきたかと言うことを言わせてもらいたい。
それは、あの長崎で被爆した永井博士が死の病床で書いたと言う文章に有る。その趣旨を簡単に言うと、この膨大なエネルギーを戦争に利用して、人類の滅亡に加担するよりは、人間の知恵でこのエネルギーを平和の目的に利用する手段を開発することが人類に求められているという事である。
なにしろ、僅か1gのウラン235で石油換算で:::lになるということ自体が驚きであるが、さらに増殖と言う言葉の通り、プルトニュームを使った原子炉では使ったプルトニューム以上のプルトニュウムが出来てくるので、原理的にはエネルギ源は無限にある事になる。しかも、廃棄物の量であるが、原子力の場合放射性廃棄物と言う厄介かなものが出てくるので問題視されるが、火力発電の石炭の燃えカスに含まれる水銀、などの有毒物質と比較しても大変少ない。従って、人類の知恵で何れこの核エネルギーの平和的な利用が、完成していくものと信じられていたのである。
この様な夢を実現すべく、我々は、官民一体となり原子力の安全な利用に向けて懸命に努力してそれを見事に実現しかけたのである。

3つ目に、言いたいことは、科学技術の持つ特異な意味についてである。
つまり科学技術の発展には、必ず失敗がありそれを教訓にして、さらに進歩していくという事である。我々の祖先は火を使う事に成功したがこれとて簡単に完成した訳ではない。
いくつかの失敗を乗り越えて、現在の様な火をコントロールするすべをつかんだと言われている。それでも未だ不十分であり未だにいろいろな研究がなされている。
3・11の事故に驚き原子力の開発を止めようというのはあまりにも短絡的でなかろうか。これを神が与えてくれた絶好の失敗と受け止めて、その再発防止が出来るとすれば、人類
はまた一歩前進するのである。あのチェルノブイルの事故を起こしたロシアでさえ、その後は原子力の開発を継続して、今や世界的に原子力をリードする国になっているのである。

ここで、我が国が、原子力から手を引いて何もしなかったら、それこそ、子孫に対して無責任と言われざるを得まい。

先日、「原発はゼロ化できるか」と言う専門家の討論を聞く機会があったが、ここで最近の若い専門家が盛んに原発ゼロ化についてその意味合いや損得の議論をしていたが、私はそもそも原発ゼロ化の必要性を議論すべきであろうと思うのである。以上に述べたように原発の開発の目的を初心に返って考えると、いまさら、そのよう様なことは言えないのではないか思うのである。

むしろ、原発をゼロとした場合の問題点を掲げて議論し、原発ゼロ化が出来ない場合にはどうすべきかと言う議論をすべきだと思う。
政府は国民に向かって、その点を丁寧に説明して、原子力開発の必要性を納得させる努力をして達成可能な原子力エネルギ-を量を設定して、それを中心にその他エネルギーの供給量をベストミックスとして示すのが筋ではないだろうか。原発再稼働、再生可能のエネルギ―の導入の進捗の度合いを見極めてからの各種エネルギーミックスの提示では、何のためのエネルギー基本計画かその目的が違うのではないだろうか。
この様な審議会は無用であり、国費を支払う価値が無い無用な審議会とみなされよう。
この様な体質が我が国の政治の基本的な門題点である、いわゆる責任逃れの問題先送り体質(官僚的体質)であることを反省してもらいたい。

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